こんにちはMasaユナイテッドです。
今回はユナイテッドのライバルチームを紹介するシリーズの第1弾として
リヴァプールFCを取り上げます。
ユナイテッドの最大のライバルと言えばリヴァプールです。
今シーズンのプレミアリーグで圧倒的強さで首位に立ち、18-19シーズンのヨーロッパ王者です。
2回に分けてリヴァプールについて書いていきます。
まずPart1ではユナイテッドとリヴァプールがライバル関係になった歴史を紹介します。
Part2では、ダービーマッチの名シーンと現在のリヴァプールのサッカーについて書く予定です。
では以下項目です。
①ノースウェスト・ダービーの由来
しばしばマンチェスター・ユナイテッド対リヴァプールの試合は、「ナショナル・ダービー」や「ノースウェスト・ダービー」などと言われたりします。
しかし、現地イングランドの人たちは単に「マンチェスター・ユナイテッド対リヴァプール」と認識しているそうです。
言葉の由来の話になりますが、「ナショナル・ダービー」はその国を代表するチーム同士の試合という意味合いが含まれています。なので正にユナイテッドとリヴァプールに相当しい言葉のようですが、「ダービー」そのものが同じ地域のライバルチーム同士の試合を意味するので、若干矛盾したニュアンスになるそうです。
実は「ナショナル・ダービー」は和製英語だそうです。プレミアのご意見番ベン・メイブリーさんいわく、日本に来て初めて聞いたとのこと...。
参考記事↓
さらに「ノースウェスト・ダービー」。こちらはちらほら英語サイトでの表記も見られ、英語版Wikiにも書いてあるのですが、こちらもメディアが便宜上使っている事が多く、特に英国の方は使わない表現らしいです...。確かにイングランド「北西部」に位置する2つのクラブの対戦なので間違いではないですが、北西部って広すぎってことですね。
しかし、この2クラブの対戦が【ダービー】と認識できるのも事実です。マンチェスターとリヴァプール間はわずかに50kmしか離れてません。東京都心ー八王子ぐらいですから同じ地域と言えます。(厳密にいえばランカシャー・ダービーという表現が一番近いのかも。)
そして、何よりイングランド・フットボール史上最も成功した2つのクラブの戦いだという意味でのダービー・マッチなのです。
②ライバル関係の歴史
調べると18世紀半ばから19世紀の産業革命時代、工業都市として栄えたマンチェスターと、貿易の要所として栄えた港湾都市リヴァプールは共存関係にありましたが、1894年マンチェスター市が、当時世界最長のマンチェスター運河を建設。大型船がリバプールの街を通過することなく行き来し、結果リヴァプールの街は衰退していきました。このことをきっかけに、リヴァプールの人々がマンチェスターに敵意を抱くようになったと...。
しかしこの話、個人的にはピンときません(笑)。確かに歴史的背景としてはあるかもしれませんが、120年以上前の都市間のいざこざを現代のサッカーに投影するのはいささか強引というか、何というか...。1894年と言えば日清戦争の時代ですからね(笑)。まぁそれだけ、イングランドにとってサッカーは伝統に根差したものだということの表れですね。
その後ユナイテッドは、1902年にニュートン・ヒースからマンチェスター・ユナイテッドに改名し1部リーグを戦います。それからお互いのクラブは優勝や降格も経験し、時は流れて1958年2月6日、【ミュンヘンの悲劇】が起こります。ヨーロッパカップ戦を終えてベオグラードから帰国したユナイテッドの選手、スタッフを乗せた航空機がミュンヘンに墜落。ユナイテッドは8人の選手と3人のサポートスタッフを失うという痛ましい事故でした。その際もコップ(リヴァプール・ファン)は追悼の意を表明し、リヴァプールのビル・シャンクリー監督は、再建のために5人のファーストチームの選手とその賃金をユナイテッドに申し出たそうです。
さらに今でこそリヴァプールのホームソングとして名高い
「You’ll never walk alone」
Goosebumps! Spine tingling rendition of You’ll Never Walk Alone by Liverpool fans and players
ですが、1977年のFAカップ決勝で対戦した際、敗れたリヴァプール・サポーターをたたえるためにユナイテッド・サポーターがこの曲を合唱したそうです。
このように、お互いに敬意を示し合う関係だった両チームがいつから激しいライバル関係になったのでしょうか?そのキーとなるワードは
「フーリガン」「リヴァプール全盛期」「ファーガソンの登場」の3つ
です。次項で見ていきます。
③国内最大のダービー・マッチへ
1974年リヴァプール監督にボブ・ベイズリーが就任。75-76シーズンから辞任する82-83シーズンまでの8シーズン中、6度の国内リーグ(フットボール・リーグ)、3度のUEFAチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)を制覇。黄金期を迎えます。この74年から最後のリーグ優勝を果たした1989-90年ごろまでがリヴァプールの全盛期と言えます。(15シーズン中10シーズンリーグ制覇)
このように無敵を誇ったリヴァプールですが、この全盛期中に2度大きな悲劇に見舞われます。「ヘイゼルの悲劇」と「ヒルズボロの悲劇」です。1985年5月29日、UEFAチャンピオンカップ(現チャンピオンズリーグ)決勝のリヴァプール対ユベントスの試合前に、サポーター同士の衝突がきっかけとなり発生した群衆事故で、39人が死亡、400人以上が負傷しました。
「ヘイゼルの悲劇」に代表されるように、当時のフットボールを取り巻く環境で問題となっていたのが【フーリガン】です。(ヒルズボロの悲劇はフーリガンとは無関係です)イングランドでは1960年代ころから一部暴徒化した若者がピッチ内外で暴力行為を繰り返し、【フーリガン】と呼ばれていました。ヘイゼルの悲劇をきっかけにスタジアムで立ち見席が撤廃されるなどのフーリガン対策が行われるようになっていくことになります。そのおかげで今日では、女性や子供でも安心して観られるスタジアム環境が整っています。
ただこの時期に生まれた、相手チーム、サポーターに対する侮辱や罵倒は1992年のプレミアリーグ発足後も残っており、ユナイテッド対リバプールの試合でも例外なく見られ、よりひどくなっていきます。
その要因の背景にあるのが【ファーガソンの登場】です。1986年にマンチェスター・ユナイテッドの監督に就任したファーガソンは若手の育成と、強固なチームマネジメント能力によりユナイテッドを常勝軍団に導いていきます。退任する2013年までで
・リーグ優勝13回
・FAカップ5回
・CL2回
など圧倒的な成績を残します。
リーグ優勝18回を誇るリヴァプールに対して、ファギー率いるユナイテッドは優勝回数で迫っていきます。その過程で、サポーターのライバル意識は加速し、やがて嫉妬になり、スタンドのブーイングや罵声は選手達に伝播し、激しいボディコンタクト、ファール、ののしり合いに繋がっていきます。試合は白熱したものとなり、ファン、サポーターのみならず、世界中のメディア、サッカーファンの関心の高い試合となりました。
これが、ユナイテッド対リヴァプールが【ダービー】とされたいきさつです。
👿まとめ
08-09シーズンの優勝により、ユナイテッドはリーグ優勝回数でリヴァプールに並びました。そして、現在ユナイテッドは20回のリーグ優勝回数を誇っています。(リーグ最多)
さらに総タイトル数はユナイテッド66個 リヴァプール62個です。
直接対戦:ユナイテッド80勝 57引き分け リヴァプール67勝
イングランドで最も偉大な2つのクラブの試合。
これがマンチェスター・ユナイテッド対リヴァプールの実態です。
コロナ・パンデミックの影響で、19-20シーズンの打ち切りの可能性も示唆されています。29節終了時点で、2位シティに25ポイント差の勝ち点82で首位独走のリヴァプール。1989-90シーズン以来30年ぶりとなるリーグ優勝を目の前にして、打ち切りとなればリーグ成績が無効になる可能性もあります。
しかし、今シーズンこれまで圧倒的な強さを誇ったのは疑いようのない事実です。最大のライバルチームですが、私個人的にはもし打ち切りとなっても、リヴァプールに優勝トロフィーをあげるべきだと思います。
っていうとユナイテッドファンから怒られそうですが(笑)。
いかがでしたか?
次回はPart2として過去のダービー名シーンと、現リヴァプールの解説をします。
こうご期待!
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